編集主幹のダーツの旅

本紙編集主幹 千葉 誠一(ちば せいいち)

本紙編集主幹の千葉誠一が地域ごとの私塾事情を探るため、ダーツが刺さった地域へ赴く新連載!各地域で活躍を続ける塾や、珍しい取り組みを行っている塾などに取材を敢行。ローカルな運営法の中に、塾で生かせるヒントがある!?

地域NO.1の秘密に迫る!:清水 貫(しみず かん)塾長 「誉田進学塾」(千葉市)

【誉田進学塾】人材は即戦力でなく、塾内で育てるべし!!

かつて「津田沼塾戦争」というものがあったが・・・

千葉 誉田進学塾の創設は清水さんのお母様ですね? どのような経緯で開塾したのでしょうか? また、どんな時代だったのでしょうか?

清水 うちの母は京都で旧制の女学校から新制の京都教育大学に進み、そのまま中学校の教師になりました。赴任先の柳池中学は、元は日本初の官(公)立小学校で、今は統合されて御池中学となった由緒ある学校です。父の転勤で、東京に転居した後は専業主婦でした。その後、千葉に転居し子育てもひと段落したときに、東大セミナーという塾の講師になりした。

千葉 東大セミナーといえば、「津田沼塾戦争」の頃全盛でしたね?

清水 そうです。ちょうど母が特訓クラスの講師だった時に生徒を引き抜いた独立騒ぎが起きて、母たちはそれを止める立場でしたが、いろいろ大変だったようです。当時は社会人講師が中心だったのですが、その独立騒ぎや、首都圏の大手塾が続々と進出してきたことに対して、経営者が社会人講師を切って学生講師に切り替えました。それで母は塾を辞めて自分で塾を開業したわけです。

千葉 その場所が誉田駅だったのですね?

清水 そうです。前の塾との関係がないところでした。駅の近くに小さな木造平屋を借り、そこに折り畳みの机を入れて、2教室つくり、3畳の台所を事務所として使っていました。私も大学時代からそこでアルバイト講師をしました。

千葉 お父様も塾で講師をされていましたか?

清水 父はその頃、外資系のコンサルティング会社の役員をしていましたが、退職後も含めて15年くらい、中3の英語を担当していました。旧制高校時代に英語とドイツ語、京都大学仏文科に進んでフランス語とロシア語を習得したので、語学は堪能でした。当時の塾は冬寒くて、石油ストーブで暖をとっていました。濡れ縁の先にあったトイレは汲取式で、いたずら好きの生徒が誉田駅に捨ててあったトイレの看板を取ってきて付けたりしていました(笑)

千葉 お母様が塾人で、父上も英語の講師、そういう遺伝子が清水さんに流れているわけですね。

清水 ちょうどその母親の塾講師時代や創業の頃を描いた小説が最近出ました。森絵都さんの「みかづき」(集英社)という小説で、フィクションなので微妙にアレンジしてありますが、昭和30年代後半から現代までの塾教師たちの物語が描かれています。私は買って読み始めたら徹夜で読み切ってしまいそうになり、途中で翌日に持ち越しました。それほど一気に読みたくなる興味深い小説です。

業界の次の道を切り拓きたい

千葉 いま現在の塾長の夢はなんでしょうか? 公私どちらでも、希望、目指すもの、目標でも構いません。

清水 子どもたちを教えて育てる教育サービス業をしているのに、若い社員を育てられなかったら自己矛盾しているようで恥ずかしい。ですから、人材をちゃんと育てられるしくみ作りをして、教育をやりたいという志を持つ若い人たちに安心して飛び込んでもらえるようにしたいと思っています。

千葉 即戦力だと危険なのですね?

清水 そうとは言えませんが、自分たちの都合で即戦力だけほしいと求めてはいけないのだと思います。

かつて塾の黎明期に先輩方が「必要悪」と言われた塾を世間に認知させるまでの努力があったから今があるのです。それと同じように、私たちが次の道を切り拓いて、ちゃんとした仕組みのもとで、志を持つ若い人たちを迎えられるように頑張ります。安定し永続する業界にするためにもこれは大切なことと信じています。
(2016年12月3日、千葉県千葉市の誉田進学塾にて取材)

1 2