【訃報】梶浦隆章氏を偲んで

中央教育研究所株式会社代表取締役 梶浦隆章氏が3月7日にご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

私教育新聞 編集主幹 千葉 誠一

大きな星がまた一つ天に召されました。生きている時にも輝いていましたが、さらに輝きを増しているようです。まだ彼の死を受け入れられないまま数週間が経ちましたが、私と同じように感じている方は多いのではないでしょうか。
 実は、梶浦氏は私教育新聞の前身である「塾新聞」の産みの親なのです。ですから、今回の訃報に際して、このような紙面を設けさせていただきました。

 彼とは、毎年必ず何度か広島で飲んで、薬研堀や流川界隈で深夜まで語り続けました・・・話を掘り下げ、掘り下げ、話はいつまでも尽きない。飲む酒は尽きても話は尽きないのです・・・お好み焼き屋に行き、ビールと大きなお好み焼きを注文して、「あのね、さっきの話ね・・・」とまた掘り下げが再開。しかし、結局自分自身もかなり酔ってしまい、「結局最初の話はなんでしたっけ?」となるわけです。
 それでも何故か爽やかな気分。話を聞いて一緒に飲んでいるだけで気分が良かったのです。そんな人はめったにいません。告別式の広島は大きな空が広がっていました。私が生き残っている意味を掘り下げてみたいと思います。

株式会社私教育総研 代表取締役社長 岩井 良明

梶浦さん、天国の様子はどうですか?天国でもずっとお酒飲んでるのかなぁ…。
あなたが天に召されてもうすぐ三週間。いつもと変わらぬ日々が続いています。
でも、私のFacebookに毎日「いいね」してくれてた人が一人、最近は押してくれなくなったんですよ。マメな私は誰が「いいね」押してくれてるかをいつも確認しちゃうんですが、一人足らないんです。

昨年の11月でしたっけ?日曜日に突然電話をくれて、妙に明るい声で病のことを伝えてくれた梶浦さん。『家族以外には初めて言うので、内緒ですよ。』って…。
あまりに明るく言われたものだから、現実として受け止めるのに時間がかかりました。

12月、二人で六本木で食事をした時も『絶対にこの勝負には勝ちますから。』って言ってたじゃないですか…。
いつもと変わらぬ明るさで、病を微塵も感じさせなかった梶浦さん。
数少ない業界の同級生だったこともあって、飲む時はいつも割り勘。その日ごとに私が持つ日と梶浦さんにご馳走してもらう日が交互に来て、あの日は私が持ったんですよ。
帰り際にいつものように『次回は私が!』って、明るく私に伝えて去って行ったのに。
まだ返してもらってないっすよ。

いつも誰かに私を紹介する時に『この人は凄いんだぞ。我々の業界のヒーローなんだから。僕はずっと岩井さんの仕事の仕方や社員への接し方を見て、勉強してるんだ。』って。
そのたびに私は『ホントに勘弁して下さい!』って、言葉を遮ってましたよね。
私は梶浦さんほど人に気遣いができて、暖かくて、優しい人を知りません。ひとつも威張ることなく、いつも謙虚で、それでいて男気に溢れている最高の男でした。
梶浦さんと飲んでる時が一番楽しくて、仕事を忘れて時間も忘れたものです。
女性たちにも本当に優しくて、だから本当にモテましたよね。
世の中の人は皆あなたのことが大好きだったんだ。
これからもっともっと仲良くして、一緒に歩んで行きたかったのに…。
私は七年前に一番の親友に先立たれ、今また一番の戦友に先立たれました。
悲しくて悲しくて、しばらく仕事が手につかなかったっすよ。

お通夜でも葬儀でも、現実を受け止めることができなくて、何だか不思議な時間でした。

梶浦さん、今は天国から私たちを見てるんですか?
煙草吸って、大好きな焼酎を二杯並べて飲みながら、笑っててくれるんですかね?
月並みなことばになっちゃうけれど、私は梶浦さんの分まで生きますから。
書いててまた涙が溢れます。

梶浦さん、本当にありがとうございました。
4月14日、佐々木さんと広島に行きます。梶浦さんと三人で飲もうって約束してた日ですよ。15日のセミナーの打ち合わせもするはずだったんですよね?
佐々木さんが言われました。
『岩井さん、15日は梶浦さんの弔いだ。絶対にしっかりやろうな!』って。
正直、広島の駅に降り立つのは辛いです。切ないです。
広島は梶浦さんとの思い出の街ですから。