【米田 宗明】一流の「指導者」に必要な条件は、完璧でないこと?

一流選手が一流選手を育てるロマンか?
名選手、名監督ならずか?

 今年の4月上旬にフィギュアスケートの浅田真央選手が引退を公表。4月12日には引退会見を開いた。五輪で金メダルは獲れなかったものの、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ) を武器に数々の国際大会で見ている人に感動と勇気を与えてくれた選手だった。引退後の道について明言は避けていたが、ゆくゆくは指導者として世界で活躍できる選手を育ててもらいたいと考える人も多いだろう。その世界で一流となった人だけに、後継者の指導に希望を託したくもなる。

 「一流の指導者」というキーワードで思い浮かぶのが男子テニス界。例えば錦織圭とノバク・ジョコビッチとの対戦は日本でも大いに盛り上がるが、それぞれのコーチが往年のトッププレイヤーであることも感慨深い。錦織陣営がマイケル・チャン、ジョコビッチ陣営がボリス・ベッカー。両人とも80年代~90年代にかけて世界中を湧かせた名プレイヤーである。当時を知る人が錦織とジョコビッチの対戦を見るときは、その背景にあるマイケル・チャンとベッカーの姿も重ね合わせていることだろう。

 このように一流選手が指導者として、自分の想いを託した選手を一流に育て上げるドラマには心打たれるものがある。が、その反面、よくスポーツ界では「名選手、名監督にあらず」と言われることも多い。一流選手だったからといって指導力に優れているとは限らないということだ。この理屈は何となく分かる気もする。トッププレイヤーには天才的な才能があり、高いモチベーションと資質を備えていたはずで、一般の人には理解できないレベルの話もあるだろう。誰もができる「当然のこと」「当たり前のこと」の基準値がそもそも違っていることも考えられる。

 昨年のプロ野球の優勝はセ・リーグが広島カープ、パ・リーグが北海道日本ハムファイターズだった。例に出して恐縮だが、それぞれのチームを優勝に導いた広島の緒方孝市監督と日本ハムの栗山英樹監督の手腕は高く評価されているが、2人の現役時代を鮮明に覚えている人がどれだけいるだろう。広島カープで盗塁王やゴールデングラブ賞も獲得した緒方監督はまだしも、特に栗山監督はスポーツキャスターとしての印象はあっても現役時代を知らない人が多いのではないか。ヤクルトスワローズの内外野手として俊足巧打で鳴らしたが怪我に悩まされた苦労人だった。そんなある意味「地味(失礼!)」だった選手が指導者となり、監督として日本一を争う。そこにも大きなドラマが存在する。

 確かに世界の王が教えたからといって800本もホームランを打てるわけではないし、浅田真央選手が指導すれば誰でもトリプルアクセルを飛べるようになるわけではないのだ。

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