編集主幹のダーツの旅

本紙編集主幹 千葉 誠一(ちば せいいち)

本紙編集主幹の千葉誠一が地域ごとの私塾事情を探るため、ダーツが刺さった地域へ赴く新連載!各地域で活躍を続ける塾や、珍しい取り組みを行っている塾などに取材を敢行。ローカルな運営法の中に、塾で生かせるヒントがある!?

いろんな塾のいろんなイマが見えてくる: 大塚 意生(おおつか いさく)代表理事(一般社団法人:貧困家庭の 子どもの学習・進学を支援する全国運動)(東京都中野区)

【私塾REAL】vol.9 青葉学院

『その気になれば、どんな子でも塾で教えることができる』
横浜市緑区のJR横浜線中山駅前の青葉学院は、地域密着型の塾として信頼を得て来た。穏やかな表情で話す中村明雄塾長には、あまり思い出したくない辛い過去もあった。しかし、それを乗り越えることができたから今がある。

ドル箱教室長から一転、塾長が作った借財の尻拭い

千葉 塾の前はどんなお仕事をされていましたか?

また、塾の指導の特色について教えてください。

中村 塾の前は私立の女子高校の教師をしていました。偏差値の高くない私学で、かなりの手間をかけないといけない生徒が多かったと記憶しています。その後、規模の小さな個人塾「青葉学院」に入りましたが、途中から大変なことがいろいろと起きて貴重な経験になっています。

千葉 先代の塾長時代ということですか?

中村 いえ、私は同じ看板の「青葉学院」の井土ケ谷の教室長で30名の生徒を1年で160名にしたのですが、オーナー塾長が拡大戦略の失敗で借財を作って入院してしまい、その尻拭いを私がやることになったのです。当時の弁護士が現在の教室を切り離してくれまして、個人事業主から再スタートして、3年後に法人化して今に至ります。

千葉 塾を畳むという選択は無かったのですか?

中村 生徒を路頭に迷わせたくなかったのですが、毎日授業が始まる前まで、いろんな債権者に頭を下げて歩いて、まさに鳥肌立つ如くの生活が何年か続きました。裁判後に、借財とともに塾としての悪評も一つひとつ減らしていきました。一番辛かったのは、最初の三年ほど、お金が無く生徒に塾のテキストが渡せなかったことです。手作り教材でなんとか指導していました。

千葉 最悪の危機を乗り越えられた要因は何でしょうか?

中村 私が30代半ばで独身だったことと、塾のことはわからなくても、私学でずっと出来ない生徒のフォローをしてきたことで、「一寸の虫にも五分の魂」という独自の教育観が貫けたことでしょうか・・・。

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