【吉田 博彦】日本の近代化と学校教育が果たした役割

学校教育の改革と社会

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の冒頭に「まことに小さな国が開花期を迎えようとしている」という一節がある。江戸から明治へと変わっていく19世紀末期当時、日本という国は世界の中でも貧しい国の一つで、このアジア大陸東端の島国が20世紀中期に世界第二位の経済大国となるということを誰が想像できただろうか。

 明治期以前、学校というシステムを持たなかった日本社会では、さまざまな「社会的通過儀礼」を経て、子どもたちは大人となり、社会の一員となっていった。その時代に子どもたちの育成を担ったのは国家が主導する「国の教育力」ではなく、それぞれの地域の人々が関わった「地域社会の教育力」である。江戸期の後半には商業活動の発達・広域化、都市文化の振興などもあり、学塾や寺子屋など私塾形式の専門性を備えた地域の教育機関が作られていったが、それも含めた地域社会の教育力が社会を支えていたのである。

 明治期以後の近代社会ではこうした教育事業を国が担うことになり、「学校」という西洋の人材育成システムが採用され、そのシステムが日本の近代化を支えたのである。その意味で「学校」が日本の近代化に大きな役割を果たしたことは疑いようもなく、「日本は世界でも最も学校教育に成功した国」と言われるのは当然のことかもしれない。

 もちろん、明治期において地域社会も子どもの教育には大きく関わっていたが、「学校」の登場はその力関係を一気に変え、第二次産業革命が始まる1900年代に入ると「学歴」という新たな資格が大きな力を持つようになり、同窓会などの「学校的システム」は社会に浸透し、学校に教育行為が集中する社会状況が定着していった。

 よく知られているように、1870年代に日本で学校制度がスタートした時、それは全国すべての地域社会で歓迎され、受け入れられたわけではない。日本で最初の学校として知られている長野の開智学校や京都の番組小学校のように、地域の人々がお金を出し合って、地域社会の力によって作られた学校があった一方で、ある地域では反対運動があったり、暴動があったり、子どもたちがなかなか集まらなかったりした。

 その理由はさまざまである。当時の農家で子どもは立派な労働力だったし、学校設置が地域社会にとって大きな負担にもなったという側面もある。しかし、そうした経済的なことだけに原因があるわけではない。考えてみればわかることだが、近代社会の要求する「勤勉な納税者・指示されて働く労働者・指揮に従って動く兵隊」という人材を作り出す「学校」というシステムは、生物としての人間の生理としてかなり無理のあるシステムである。幼い子どもが朝早くから、ランドセルという重い荷物を背負って一つの建物に集まり、何時間も机の前に座って大人の話を聞くということは、「かなり異常なことだ」という感覚は大切である。これを異常だと感じないとすれば、その感覚がすでに「学校神話」に侵されている。

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吉田 博彦(よしだ ひろひこ)

教育支援協会 代表理事

1952年 大阪府枚方市生まれ。中高と神戸で育ち、1976年早稲田大学法学部卒業後、海外子女教育、インターネット教育事業などを行う民間教育会社の経営にあたる。

1997年、「教育支援協会」の設立に参画し、99年、教育分野で最初のNPOとして経済企画庁(当時)の認証を受け、全国組織のNPOの代表理事に就任。また、2003年に特定非営利活動法人小学校英語指導者認定協議会専務理事、2015年に特定非営利活動法人全国検定振興機構理事長に就任し、英語教育の改革や大学入試改革に取り組んでいる。

yoshida

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