【吉田 博彦】日本の近代化と学校教育が果たした役割(2)

 たとえば、初等教育の小学校6年制は同じだが、5年制の旧制中学は新制中学3年と新制高校2年に分離され、新制中学が義務教育に組み込まれた形となったため、戦前の旧制中学への進学率が20%~30%であることを考えれば、人口の3割強しか受けていなかった教育を全国民が受けることになったのである。

 もちろん、その影響には良い面と悪い面があり、良い面としては、国際比較で指摘される「日本の義務教育内容の高度さ」がある。しかし、教育内容が高度すぎるために1970年代からの登校拒否・不登校や、1980年代の「荒れる学校」の要因の一つになったという悪い面もある。そうした負の面を改善するため、1990年代に教育内容の削減を当時の文部省が行うことになるのだが、それは2000年代の「ゆとり教育批判」を招くこととなる。

 「6・3・3」の学制がスタートした時、当時の文部省は当然のことだが混乱を予想し、1947年に戦前の教科体制を修正し、小学校・新制中学・新制高校での教育内容を示すために「学習指導要領」という「基準」を示したのである。当初は「法的な拘束力」を持たなかった「学習指導要領」だが、1958年からは法的拘束力を持つものとし、その後、10年ごとに「学習指導要領」の見直しを行うことで、学校教育をコントロールするというシステムが定着している。

 日本のように、国が全国一律に教育内容を定めるというシステムは国際的に一般的なわけではない。この国際的にはあまり見られないシステムによって、子どもが親の転勤でどの地域に移動しても同じ教育内容を受けられることが「保障」されるというプラス面と、教育に国の統制が強く、その地域ごとの教育がしにくいというマイナス面が生まれている。

 もう一つ、戦後の学制改革で理解しておく必要があるのが、高校教育に関する問題である。新制高校は旧制中学2年分と旧制高校3年の1年分を組み合わせたものとなり、中等教育と高等教育の内容が合体したために、「高校とは何か」という姿を描けないままに現在に至っている。この課題は2006年の教育基本法の改正でも決着がつかず、同法には大学教育と義務教育は条文規定がされているが、高校教育については条文そのものがない。

 そうした中で、1950年代から急速に高校進学率が上昇し、1980年代に入るころには90%を超えるようになった。前述したように、戦前の旧制中学の進学率と比較すると、高校教育が担う日本の後期中等教育状況は激変した。

 戦前の大学進学を前提とした旧制高校(高等教育機関)のイメージを残している新制高校(後期中等教育機関)だから、たとえば、微・積分や漢文・古典も高校の教育課程には組み込まれているが、90%を超える国民が受ける教育内容としては無理がある。

 このことが要因となって、平成元年前後には1年間の高校中退者が12万人を越えるようになった時期もあった。現在では高校の教育課程の多様化が進み高校中退者は半減したが、英国のパブリックスクールやグラマースクール、仏国のリセ、独国のギムナジウムなどのように、履修年限を含めて、日本の高校にあたる後期中等教育の教育形態・教育内容は、各国ごとに多様な発展を見せている。しかし、日本では総合学科の創設などが進められたものの、大学進学率の上昇の中で普通科が圧倒的に優位なままなのである。高校の学習指導要領の抜本的改革は急務である。

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吉田 博彦(よしだ ひろひこ)

教育支援協会 代表理事

1952年 大阪府枚方市生まれ。中高と神戸で育ち、1976年早稲田大学法学部卒業後、海外子女教育、インターネット教育事業などを行う民間教育会社の経営にあたる。

1997年、「教育支援協会」の設立に参画し、99年、教育分野で最初のNPOとして経済企画庁(当時)の認証を受け、全国組織のNPOの代表理事に就任。また、2003年に特定非営利活動法人小学校英語指導者認定協議会専務理事、2015年に特定非営利活動法人全国検定振興機構理事長に就任し、英語教育の改革や大学入試改革に取り組んでいる。

yoshida

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