【吉田 博彦】現代日本の教育と 教育課程の変化(2)

「ゆとり」教育批判と2002年の学習指導要領の改訂

 
 1984年に当時の中曽根首相直轄で設置され、当時の日本の英知を集めて21世紀の教育のあり方を議論した臨時教育審議会(臨教審)では4次にわたって答申を出した。少子高齢化社会への対応、ICTの発達による社会の変化への対応など、現代社会の抱える課題へ向けて教育施策のあり方が示され、この答申がこの後の日本の教育の方向を決定付けることとなる。昭和から平成の教育改革の議論は臨教審答申の影響を強く受け、個性重視、生涯学習体系への移行がテーマとなり、文部省(当時)の中にも生涯学習局が生まれ、各地の教育委員会にも生涯学習局や課が設置された。
そして、共通一次テストの教科削減や大学入試科目の削減、1990年からの大学センター試験の創設という流れはその答申によって行われた。この後に国のさまざまな教育政策の会議が答申を出すが、臨教審答申を超えるようなものは出ていない。

 1992年の学習指導要領は臨教審答申を受けて作られ、授業時間の削減や教科内容の精選、小学校算数で「集合」を削除することや、高校での「現代社会」の新設がスタートした。文部省が業者テストの廃止の通達を各教育委員会に出したのも1992年のことである。

 それと並行して、1992年の学習指導要領の改訂の後、学校教育の改革として小学校低学年の社会・理科を廃し生活科を設置することや、選択教科の拡大に向けた議論が進められた。そして、臨教審の第二次答申に「小学校での英語教育を検討する」という方針が盛り込まれたことから、小学校での英語教育の必修化に向けての議論もされたが、当時は中・高での英語がまだ選択科目であったこともあって、この議論は進まなかった。

 こうした流れの中で、1992年の学習指導要領の改訂で「ゆとり」教育が推進され、新しい学力観という考え方が登場し、「個性を生かす教育」が日本の教育目標となっていった。そのため、教科の学習内容をさらに削減し、生活科の新設、道徳教育の充実など、社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成が教育方針となり、土曜日が月に一回休みになったのもこの1992年9月のことである。

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吉田 博彦(よしだ ひろひこ)

教育支援協会 代表理事

1952年 大阪府枚方市生まれ。中高と神戸で育ち、1976年早稲田大学法学部卒業後、海外子女教育、インターネット教育事業などを行う民間教育会社の経営にあたる。

1997年、「教育支援協会」の設立に参画し、99年、教育分野で最初のNPOとして経済企画庁(当時)の認証を受け、全国組織のNPOの代表理事に就任。また、2003年に特定非営利活動法人小学校英語指導者認定協議会専務理事、2015年に特定非営利活動法人全国検定振興機構理事長に就任し、英語教育の改革や大学入試改革に取り組んでいる。

yoshida

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【2018/9月】現代日本の教育と教育課程の変化(1)

【2018/8月】日本の近代化と学校教育が果たした役割(2)

 

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