【横手 尚子】“世界に通じるマナーとコミュニケーション” ― 教育編(2) ―
現在私は、いくつかの大学と専門学校でビジネス的な英語から始まり今はマナー、おもてなし、そして日常生活を潤滑にするためのカジュアルな英語、と様々なスタイルを生徒たちと追求しています。
生徒のバックグラウンドも決して一様ではなく、現役で入学した18歳から上は70代の方々もいます。またそれだけではなく生徒の国籍も多様です。アジア圏を中心に国籍の数は五指では足りません。
当然、それぞれレベルも学習目的も異なってきますが、英語クラスにおいて際立つのは、互いの違いよりもむしろ共通点の方です。一つは「発音の改善」、もう一つは「音読・暗唱」に力を入れているということ。私のクラスでは例外なく、生徒たちがこれらの重要性を認識することになります。
今回はそのうちの「発音の重要性」についてお伝えしたいと思います。
「発音」の重要性について

前回の9月号では、心地よいコミュニケーションを図るためには、「明瞭な発音」で話しかけ、「相手の言っていることが聴き取れる」力を身に付けることが大切だという根本原則に関わる内容で書かせて頂きました。今回は、それらの教授法、そして実際に効果を上げてきた方法について踏み込んでみたいと思います。
「私たち日本人は中高6年、時にはさらに2~4年も英語を学んでいるのにろくに聞いたり話したりすることさえできない」とよく言われますが、これは別段驚く事ではありません。いくら時間をかけたとしても、目的に合わない練習をすれば結果は当然得られないのは自明だからです。陸上で泳ぐ練習はできませんし、水泳の教本を何年熟読しようと泳ぐという “スキル” の習得は不可能です。
このようなお話をすると「ボタンを最初からかけ間違えてしまったのか…」と落胆する成人の方も多いでしょう。しかし、英語習得に関しては適切な練習をすることによって確実に発音能力とリスニングは上達します。年齢は関係ありません。
ゆえにここでは早期教育の是非や、乳幼児の母語の習得プロセスについては書きません。なぜならそれは一部の環境に恵まれた場合にのみ言えることであって生徒の大多数はそのケースには当てはまらないからです。
「聞いた音をまねして発音しましょう」というアドバイスが多く聞かれますが、それでうまく行ったためしはありません。あったとしても何百人に一人という例外的な才能の持ち主だと思います。そして最終的には同じ実力になります。
試行錯誤の末、得られた結論は「最初から日本人に苦手な音のパターンを練習でインプットする」というものでした。効果はすさまじく、発音記号を中心に教えては挫折していた生徒さんが、英語が聞き取れ思わず感動して泣いたことがあるほどでした。
「英語の音はしっかり “カンニング” する」
私の音声教授法の方針はここに至って大きく旋回し始めました。
日本語が母語だからといって、英語の音が作れない訳ではありません。日本語の中にも英語と共通した音がたくさん隠れています。要はそこに「意識」が向けばいいのです。適切な練習で自分がそのコツをつかみ、実践できるようになる事がそのベストの方法だと毎年の事例が物語っています。
そう、単に習っておらず、知らないから、うまく発音できず、聞こえないだけのことなのです。