編集主幹のダーツの旅

本紙編集主幹 千葉 誠一(ちば せいいち)

本紙編集主幹の千葉誠一が地域ごとの私塾事情を探るため、ダーツが刺さった地域へ赴く新連載!各地域で活躍を続ける塾や、珍しい取り組みを行っている塾などに取材を敢行。ローカルな運営法の中に、塾で生かせるヒントがある!?

私塾のトップに聞く:川辺 洋一 代表取締役学院長、AJC全国学習塾協同組合 理事、SSK埼玉県私塾協同組合 理事 (一橋ケンアイ (株式会社ケントアイ))(埼玉県)

【一橋ケンアイ (株式会社ケントアイ)】『賢さと愛で、 素直な気持ちで働ける会社作り』

 埼玉県の北部、深谷市にある「一橋ケンアイ」は、創業31年、個別指導に特化した塾であり、バソコン教室と人材紹介・就職支援の子会社を持っている。実家はかつて総合衣料品店だったが、副業としてスタートした塾が成功して、川辺洋一塾長がその先頭で走ってきた。少子化、大手の進出、さまざまなトラブルなどを乗り越え、賢さと愛で、生徒も保護者も、そして社員も満足できる会社作りを目指している。川辺塾長に深谷市で取材した。

副業ではじめた塾に生徒60人!!

千葉 お世話になります。以前、館林で取材させていただいた川畑卓也先生のご紹介ということで、わくわくして伺いました。塾の規模について概要を教えてください。

川辺 こんな小さな塾で申し訳ありません。個別指導の形態で4教室、その他にABCパソコン教室を熊谷に2教室、別会社のABCキャリアステーション(株)で有料職業紹介などを行っています。

千葉 学生講師ですか?

川辺 いいえ、現在一般社会人講師が主体です。講師1人に生徒が2~4人で指導しています。現在、正社員は6人で講師は24名です。

千葉 塾を開校されるきっかけは何だったのですか?

川辺 私の祖父は教員で、父は総合衣料品店を経営していました。しかし大手の衣料品チェーン店が進出してくる前はなんとか経営を維持していましたが、その後経営難から婦人服専門店に転換しました。また流通業界の導入期・成熟期・衰退期を身近に見て来ました。私は商売に向いていない性格もあり父の仕事を継ぐのが嫌で、生活資金を確保するための副業として塾を開きました。衣料品店と塾の兼業ということですね。そうしましたら、一気に生徒が60人も入塾しまして、ピーク時には480人にまで増えました。当初、40坪のテナントを借りて、一橋ゼミナールを創設された稲葉年男さんに個別指導のなんたるかを教わりました。昭和62年に創業し、平成4年に法人化しました。

千葉 一橋ゼミナールの「一橋」なのですね?

川辺 その通りです。稲葉先生に二文字いただきました(笑)。

全員対象に無料特訓で成績向上

千葉 この地域の教育熱はいかがですか?また、私教育の役割はどのような状況ですか?

川辺 私が個別指導で生徒を集めはじめたら、大手塾が続々と進出してきました。塾の必要価値が市場にも認められた形でした。生徒が増えて教室をいくつか出しましたが、私は指導の質が落ちるのが心配で、「最近先生がちゃんとフォローしてくれないような気がする」と保護者から言われて、全員対象に無料特訓するようにしました。当塾は入塾テストがなくどんな生徒でも入ってくることができるので、学力の低い生徒もいて、個別に特訓する必要もあったのです。

千葉 ピーク時には何教室あったのですか?

川辺 6教室です。当時はサービスや指導の中身が薄くなって、生徒一人ひとりに対する演習が少なくなったという指摘を保護者から受けたのです。また、学力の低い生徒は家庭学習の習慣がついていないので、塾で補習する必要もありました。

 県南はほぼ首都圏ですが、ここ県北は田舎で、私立中高受験をする生徒も少なく、以前は公立高校のすべり止めに私立があるような感じでした。今は難関大学への進学率の高い私学が多くなっていますが、AO推薦入試も広がって、その対策を求められることもあります。

千葉 この地域の高校生は都内の大学に進学しますか?

川辺 関東圏の大学への進学が多いですね。特に六大学、そして日東駒専(日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学)の人気が高いようです。必要もあったのです。

山アリ谷アリ…で今がある

千葉 いままでで最も辛かったことは何ですか?

川辺 ある教材を一気に導入したところ、保護者から「教えなくなった」というクレームがあり、生徒が急に減って閉鎖の危機に陥って大変でした。その教材の導入を止めて、なんとか復活することができました。失敗の経験を生かして、今度はFCでなく自前の教材で、学習空間作りにも工夫を凝らし、以前の3~4割引の月謝と成績保証で生徒を取り戻していきました。

 また、ネイティブ講師で英会話をやっていた時期がありますが、幼児から小学6年生まで結構集まっていたのに、塾の中学部にほとんど継続してくれませんでした。結局、ネイティブ講師の英会話ということだけで来てくれていたのだなと後でわかりました。

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