【川山 竜二】ラーニング・ソサエティの台頭 ―人生100年時代・知識社会・リカレント教育

ラーニング・ソサエティ

知識社会を別の視点で捉えれば、常に「学び直し」が必要な社会である。これをラーニング・ソサエティと呼ぼう。実はこれもまた言葉自体は、新しいものではない。1968年にロバート・M・ハッチンスが『学習社会論』でラーニング・ソサエティという言葉を使用している。ところが、我々の生きる知識社会と表裏一体のラーニング・ソサエティはハッチンスのそれとは違う。筆者は別の機会でも、次のようにラーニング・ソサエティを定義した。「生涯を通じて学習することを自身の選択で自由に行い、またその学習成果について自身で責任を負う」という考え方があらゆる領域で浸透し、社会の仕組みとして埋め込まれてしまっている社会である。つまり、個人でも、企業でも、社会全体でも、何をするにしてもラーニングが必要な社会になっている。

上記の定義のようなラーニング・ソサエティを考えるときには、学ぶ側すなわち学習者側の視点と学びの提供者側の視点と2つの側面から見ていく必要がある。

学習者側にとってみれば、そもそも「(学び直しを含めて)学ぶ/学ばない」という選択肢が保証されていて、「学ぶ/学ばない」を選択するのは自己責任において自由である。さらに、学習者が何らかの学びをすると選択したとして、何を学ぼうとするかも、学習者の主体的な選択と責任に委ねられるのである。つまり学ばないことを選択しようが、ある学びを選んだ結果、知識の違いで所得などの格差が生じるとしても、それはすべて学習者の自己責任となる。

他方で、学びの提供者側はどうだろうか。まず学びの提供者側は、さまざまな学びの多様性を確保する必要がある。加えて、学びたい者がそれらの学びにアクセスできるように保証することが必要である。さらに学びの提供者は、提供した学びによってどのような能力が身につくのか、何にその学びが活かせるのかを示すことが求められる。というのも、学習者側は「学習成果について自身で責任を負う」ことになるので、学習成果を想定して学びを選択するからである。つまり、インプット(学習内容)だけではなくアウトカム(学習成果)を提示することまで要求される。学びの提供者は社会の動向を注意深く観察し、どのような能力がどのように身につくのかを絶えずモニタリングすることが必要なのだ。

メタ化戦略

これまでラーニング・ソサエティの話をしてきたが、当初の問題に戻ろう。社会を見ることでどのような教育ニーズがあるのかが分かるという主張である。語弊を恐れずに言えば、知識社会とラーニング・ソサエティが表裏一体化した社会では、さまざまな局面で「メタ化戦略」の能力が必要であると考えている。これからは「学び方」そのものも学びの対象になるはずだ。つまり、「学び方」を習得することで、どのようなときに、何を学び、何を身につけるべきかを自分で主体的に判断できる人材がこれから求められるだろう。なぜなら、知識社会においては、知識をいくら習得してもすぐに陳腐化してしまう可能性がある。これは学びを提供する側にも必要なことである。提供する知識が社会のどこで役立つのか「知識の知識」をしっかりと見極める能力が必要になってくる。

これからの社会で必要となるのは、まさに「学び方」を学ぶこと、そして「知識」についての知識が必要だ。同じ言葉が2回出てきて紛らわしいなら次のように言ってもよい。いかに学びを選択し学習成果を管理するのかというラーニング・マネジメントとどのように知識を利活用するのかというナレッジ・マネジメント。ラーニング・ソサエティの時代にはこの2つのマネジメント能力が求められるだろう。

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川山 竜二(かわやま  りゅうじ)

学校法人先端教育機構
社会情報大学院大学研究科長・教授

文部科学省
持続的な産学共同人材育成システム構築事業委員
実務家教員COE 事業責任者


専門学校から予備校まで様々な現場にて教鞭を執る実績を持つ。
現在は、「社会動向と知の関係性」から専門職大学、実務家教員養成の制度設計に関する研究と助言も多数行なっている。そのなかで、リカレント教育やラーニング・ソサエティ、知識3.0を提唱。現在の関心のキーワードは、実践の理論・高度専門職業人。

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