【出口 汪】英語力の前に「国語力」

英会話より、読解力・思考力の必要性

子どもたちの多くは「国語は所詮日本語だから、勉強しなくても何とかなる」とうそぶく。その時の国語力はあくまで日常的な日本語の運用能力に過ぎない。たしかに彼らは日常日本語を喋っているし、日本語での読み書きもできる。しかし、私たち日本人は日常相手が察してくれることを前提として、日本語を運用している。そのことの特殊性は英語を学ぶことによって鮮明になる。

英語においては、疑問詞が文の先頭に来たり、否定語が動詞の前に来たりする。あるいは、YESかNOが最初に明示される。つまり、今から話すこと(書くこと)は肯定文なのか、否定文なのか、あるいは、疑問文なのかを予め明示しなければ、相手は理解してくれないと考えているのである。人種も民族も文化も教養も異なる他者に伝える手段として、英語という言語が使われているのである。ところが、子どもたちは「察する文化」の中にどっぷりとつかり、他者に伝達するという英語の本質を理解することがない。

現に、日本語では最後に「ない」を付ければ否定文になるし、「か」を付ければ疑問文となる。それなのに私たちは会話をしていても相手が否定文なのか、疑問文なのかを考えることがない。相手が察してくれることを前提に日常の日本語におけるコミュニケーションが成り立っているからである。私が指摘する日本語の運用能力とはそういったことを指している。しかも、子どもの周囲には察してくれる人間たちしかいないのだ。そういった日本語感覚のまま英語を学習したところで、本当の意味で語学力が身につくはずがない。

国語は活字となった文章を読むことから始まる。筆者は一切察してくれることのない、不特定多数の読み手に対して文章を書くことになる。そういった意味では、日常的な日本語よりも、むしろ英語のほうに近いのだ。察してくれない誰かに向かって文章を書くということは、それだけ伝えたいメッセージが筆者にあるということにほかならない。筆者はその願いを込めて、不特定多数の読み手に文章を書くのだから、自ずと論理的にならざるを得ない。感覚は通用しない世界である。

筆者の主張は基本的に不特定多数の読み手が知らないことであり、理解していないことである。誰もが知っていることならそれは常識であって、わざわざ活字にする必要などない。そこで証拠となる具体例を挙げたり、分かりやすいエピソードを紹介したりする。あるいは、誰もが賛成の意見をわざわざ書く必要もないのだから、当然反対意見も想定し、対立関係を駆使することになる。これらが論理であって、日本語においてそういった論理を理解していない子どもたちが、いくら英語を学習したところで、単なる英単語や文法事項の暗記に留まるだけであって、本当の語学力が身につくわけではないのである。

また筆者の立てた筋道(論理)をあるがままに追っていくということは、主観的な自分をいったん括弧に入れるということでもある。自分の意識で文章を読むから、国語の読解はセンスや感覚となるのであって、筆者の意識で読む限りは自分のセンス、感覚が入り込む余地はない。

英語を話せることよりも、そういった読解力、思考力こそが今の子どもたちに必要なのである。

 

英語が身につかないのは国語力がないから

また一文は要点とその飾りで成り立っている。主語と述語は文の要点、それに修飾語がついているのである。主語となる言葉を体言、述語となる言葉を用言といい、それらを修飾する言葉が連体修飾語、連用修飾語である。

英語の授業でも文型というのを学習する。SVが第1文型というのは単なる知識であり、そんなことはどうでもいい。大切なことは、SとVが一文の要点であり、それに修飾句や不定詞、関係詞など、飾りがつくことで一文が成立しているということである。複雑な文は単に飾りが多くついているに過ぎない。そして、どんな複雑な文でも要点さえ掴まえれば、意味を簡単に把握することができるのである。

さらには国語の助動詞、助詞の理解がなければ、英文法を理解することは容易ではない。つまり、英語力が身につかないのは、そもそも国語力がないからではないのか。

 

英語力の前にまず国語力

現在自動翻訳機の進歩が目覚ましい。英語をしゃべれなくても、自動翻訳機を利用すれば、数十カ国語、ほぼ完璧に翻訳してくれる。しかし、正確な日本語や論理的な話し方ができなければ、自動翻訳機は誤訳をする。そして、たとえ誤訳されても、相手の外国人はそのことを理解することができない。それならば、英語よりも前にまず国語力ではないのか。英会話力は学力ではなく、英語を習熟するための環境を用意できるかどうかの問題にすぎないのだ。

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出口 汪(でぐち ひろし)

株式会社水王舎 代表取締役


関西大学大学院博士課程単位修得。代々木ゼミナール、東進ハイスクールの講師を歴任し、「国語の文章を論理的に読解する手法」を授業に取り入れ、一躍カリスマ講師としての人気を博する。その後、1993年には「総合予備校S.P.S」を、2000年には教材開発・出版を目的とした「水王舎」を設立する。

2003年に発行した「論理エンジン」は、国語を感覚的に解くのではなく、筋道を追って論理的に解くことの重要性を説き、全国公立私学250校以上が採用するなど、大ヒットを記録する。

広島女学院大学客員教授、基礎力財団評議員。著書『はじめての論理国語(水王舎)』『出口先生の頭がよくなる漢字(水王舎)』『知っているようで知らない夏目漱石(講談社)』など著書多数。

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