【出口 汪】「論理国語」について

すでにご報告したように、このたび東進衛星予備校の契約を解除した。今春からは佐鳴予備校に出向することになる。今後は@willの映像を通して、全国の塾生が私の最新講義を受講することができるようになる。

さらには私の参考書、問題集をテキストに、「出口式音声講義」を多くの塾に配信していく。40年程前から、国語を論理の教科と位置づけ、さらには全科目の土台となる論理力を鍛えていく講義をしてきた。これからはもっと塾との連携を深めていきたい。

 

国語は論理の教科である

国語が論理の教科だと私が宣言した時、「とんでもない」とほとんどの学校の教師や予備校の講師たちから批判され続けてきた。そんな折、2022年高等学校の学習指導要領が大幅に改訂される。文部科学省のいう改革の本丸である今までの「現代文」という科目がなくなり、「論理国語」と「文学国語」との選択となる。

「論理国語」の内容はさておいて、こうした名称の新科目が登場するということは、少なくとも国語が論理の教科だということが国の方針として決まったということである。そういった意味では、画期的な一歩を踏み出したと言える。国語のゴールが決まったのだから、当然小学校や中学校の国語は論理的な教科へと変えなければならないが、おそらく現場の教師の混乱を招くだけではないか。国語を論理的に教えることは、長年のノウハウの蓄積が必要で、一朝一夕でものにできることではないからだ。

 

「論理国語」をめぐる論争

さて、その「論理国語」が様々な論争を巻き起こしている。

週刊誌AERAや月刊誌文學界などでは次々と特集を組み、今回の学習指導要領の大幅な改訂に対して、批判を繰り返している。「論理国語」と「文学国語」が選択科目となったなら、受験を意識したほとんどの高校では「論理国語」を選択するのではないか。その結果、「山月記」「こころ」などの文学作品が子どもたちの目に触れる機会がなくなるのではないかという批判である。

また文学作品でも論理力を鍛えることができるという論も展開されている。その一方、既存の曖昧な国語の授業は現に役立っていないので、論理的に国語を教えることには大きな意味があるとする論も数多く展開されている。

これらに関して、私見を述べておくことにする。

今までの現代文や国語では、子どもたちにどんな力を、どのような方法で鍛えるのか、そのあたりが曖昧で、教師の恣意的な判断に任せられた結果、現実問題として現代文という科目がほとんど機能しなかったのである。その点では、「現代文」を「論理国語」と「文学国語」という新科目に解体することによって、どんな学力を目指すのかが明確になったと言える。その点では、大いに評価に価する。

だが、そこに大きな問題がないわけではない。一つは、「論理国語」が必須ではなく、「文学国語」との選択になったことである。もちろん、選択科目を複数履修することも可能であるが、大方の高校では「論理国語」しか履修しないのではないかと推測されている。その結果、国語から文学が消えるといった批判が巻き起こったのである。

どうせ改革するならば、「論理国語」を4単位必須として、国語教育の中核に置き、他の科目をそれぞれ2単位とする。なぜなら、論理力を修得しない限り、文学作品や古文、漢文の読解、鑑賞も、国語表現も大した効果が期待できないからである。論理力はすべての科目の土台であるから、まずそれを徹底的に学習し、その上で文学や古典を学習するべきなのだ。それだけの単位を用意できないのなら、英語の単位を削ればいい(日本人の英会話コンプレックスはなんとかならないものだろうか)。

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出口 汪(でぐち ひろし)

株式会社水王舎 代表取締役


関西大学大学院博士課程単位修得。代々木ゼミナール、東進ハイスクールの講師を歴任し、「国語の文章を論理的に読解する手法」を授業に取り入れ、一躍カリスマ講師としての人気を博する。その後、1993年には「総合予備校S.P.S」を、2000年には教材開発・出版を目的とした「水王舎」を設立する。

2003年に発行した「論理エンジン」は、国語を感覚的に解くのではなく、筋道を追って論理的に解くことの重要性を説き、全国公立私学250校以上が採用するなど、大ヒットを記録する。

広島女学院大学客員教授、基礎力財団評議員。著書『はじめての論理国語(水王舎)』『出口先生の頭がよくなる漢字(水王舎)』『知っているようで知らない夏目漱石(講談社)』など著書多数。

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【2020/1月】「出口式国語音声講座」

【2019/12月】英語力の前に「国語力」

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