編集主幹のダーツの旅

本紙編集主幹 千葉 誠一(ちば せいいち)

本紙編集主幹の千葉誠一が地域ごとの私塾事情を探るため、ダーツが刺さった地域へ赴く新連載!各地域で活躍を続ける塾や、珍しい取り組みを行っている塾などに取材を敢行。ローカルな運営法の中に、塾で生かせるヒントがある!?

いろんな塾のいろんなイマが見えてくる

【私塾リアルVol.51】父から子に引き継ぐべきものとは?

千葉県八千代市に本部を置く「日米文化学院」は、父親である柳田晋次氏が創設し、
息子の浩靖氏が継承している名門塾である。
今回は創業者である柳田晋次氏を中心に創業から現在に至るまでの塾経営について取材した。

柳田晋次理事長と柳田浩靖代表

 

1,501人の英国留学生支援

千葉 創業とこれまでの経緯について教えてください。

柳田 私は1941年に生まれて41歳で塾を開業しました。
1982年、昭和57年に、ここ八千代市でスタートしたのです。

千葉 元々教育関係の仕事をしたかったのですか?

柳田 大学は中央大学法学部でした。
最初は弁護士になりたくて司法試験の勉強をしていましたが、起業家を目指すようになり、卒業後は叔父の経営する商事会社に入って様々な業種・色々な仕事を経験して独立開業に備えました。
そしてこれからの時代、教育関係でやっていこうと決し、塾を起業したのです。
元々米国社会・文化への憧れがあり、塾名を「日米文化学院」としました。
進学教室と八千代市では、最初となる英・米国人のネイティブ講師による本格的な英会話スクールを同時に開校しました。
また私自身が大いに憧れた留学事業部も立ち上げ、2019年の38期生までに、延べ1,501名の学生に米国と英国への留学支援を行ってきました。

千葉 日本での英語教育だけでは実社会で通用しないと思われたのですか?

柳田 当時の八千代市内にはネイティブ講師による英会話教室は唯一本校だけということもあり、圧倒的な需要がありました。
また近隣の私立高校からネイティブ講師の派遣要請が相次ぎ、講師派遣事業部も主要な業務となりました。
社会全体で「使える英語」への欲求が強くなり、「英会話スクールの日米文化学院」というイメージが強かったようです。

 

英国留学なのに「日米文化学院」の理由とは?

千葉 そもそも留学支援についてここまで頑張ってこられた理由は何なのでしょうか?

柳田 前述の通り留学は私の憧れでした。
私の娘が、高校2年生の時に一年間米国留学したのをきっかけに、若き学生の時に留学することの有用性・重要性を実感しました。
そして「米国ではなく英国だ」と思うようになりました。
留学中は、ホームステイが重要な要素になりますが、英国のほうが生徒に適したホームステイ先が選択できるという利点がありました。

千葉 日米文化学院のままで日英に切り替えられたのですね?

柳田 日米文化学院で採用した英・米人講師は、150人を超えます。
その内で英国人の数名の講師が帰国後、Hull大学とSheffieldCollegeで教鞭をとることとなり、日米文化学院と両大学の関係が一層深まりました。
私自身留学生の引率には必ず同行し、今までに60回以上訪英して留学中の学生の支援と必要な講義を続けてきました。

千葉 それも学生や保護者の信頼につながったのですね。

柳田 長期留学生のご父兄には、留学後半年を過ぎてイギリス生活に慣れてから、留学先の大学とホームステイ先に一緒に訪問する企画もありました。
ご両親が成長した我が子を喜ぶ姿に、「親がこんなに喜んでくれるなら、もっと頑張ろう」と、留学生の方が大いに感激して勇気づけられました。

柳田氏が教鞭をとり、学生たちが留学する英国のハル大学(イングランド北東部)

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